大判例

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横浜地方裁判所 昭和35年(わ)353号 判決 1960年9月28日

被告人 村山喜久雄

昭八・一・二二生 新聞配達員

宮下三夫

昭一四・三・六生 新聞配達員

主文

被告人宮下三夫を懲役二年に処する。

但し本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

被告人村山喜久雄は無罪。

理由

(被告人宮下に対する罪となるべき事実)

被告人宮下は、昭和三五年二月一七日午後一〇時三〇分頃同僚の被告人村山、薗部已持三と共に幅員約三米の横浜市鶴見区生麦町一〇三五番地先道路中央附近に自転車二台を立てかけ立話をしていた折柄、偶々同所を通りかかつた鈴木園二(当時三五年)及びその家族ら四名が右自転車を避けながら被告人らの間を一列になつて通りすぎたが、その際右鈴木が「こんなところに自転車をおいて邪魔で通れないじやないか」と被告人らに注意したのに対し、被告人宮下が「何だ通れたじやないか」と答えたことに端を発し同被告人と右鈴木との間にとつ組合いの喧嘩が始まり、まもなく被告人宮下は同人をつきとばして一旦右道路を約三〇米程逃げたものの、後から追つて来る様子もなくまた自転車のことも気になつたので右喧嘩の現場に引きかえし、偶々附近路地間を窺つたところ、そこに人影をみとめたため、これに近づいていつたところ、右路地内の表道路より約六米入つたところで、被告人村山が鈴木に右側の塀に押しつけられ長さ約一、二六米の角棒一本(昭和三五年押第二二七号中長い方の角材)で殴られそうになつているのを目撃し、このまま放つておけば同被告人の身が危ないと直感し、直ちに鈴木のうしろに近づくや、同人の振り上げていた該角棒を取り上げざま同人の右側頭部めがけて一回強く毅りつけ、同人に対し右頭頂骨亀裂骨折、右硬脳膜外血腫等の傷害を与え、よつて翌一八日午後三時五〇分頃同市同区生麦町三八番地生麦病院において右硬脳膜外血腫にもとづく脳圧迫により死に至らしめたものであるが、被告人宮下の右行為は鈴木の被告人村山に対する急迫不正の侵害を防衛するためのやむを得ざるに出た行為であるがその防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人宮下の判示所為は、刑法第二〇五条第一項、第三六条第二項に該当するから所定刑期範囲内で同被告人を懲役二年に処し、諸般の情状を考慮し、同法第二五条第一項により本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(被告人宮下に対する検察官の主張についての判断)

検察官は、本件は前記路地内で被告人村山が被害者の鈴木を塀に押しつけていたところ、被告人宮下が引返してきて附近にあつた長さ約一・〇八米の角材(昭和三五年押第二二七号のうち短い方の角材)で鈴木を殴打したものであるからもとより正当防衛が成立する訳がなく又到底過剰防衛を認める余地もないと主張するので、先ず当時の路地内における被告人村山と鈴木の位置姿勢等について検討するに、被告人村山、同宮下の検察官に対する各供述調書には被告人宮下が前記路地内に入つていつた際被告人村山は表通りから入つて右側の塀に鈴木を押しつけていた旨の供述記載があるので検察官の主張は右供述調書によつて十分裏書されているようであるが、他方被告人らの司法警察員に対する供述調書によると右路地内における被告人村山は終始守勢に立つていて、前記検察官調書とは反対に鈴木が被告人村山を塀に押しつけていた(被告人宮下の司法警察員に対する供述調書)ことが認められると共に、検証調書にも被告人宮下の右と同趣旨の指示説明があるのでそのいずれを採るかによつて自らその結論を異にせざるを得ない。よつて被害者鈴木の受傷の部位程度よりこれを吟味するに藤井安雄作成の鑑定書によれば鈴木の頭頂部には左前と右横にいずれも鈍器によつて生じた二個の創傷がみられ、且つその直下にはいずれも頭蓋骨折硬脳膜外血腫を生ぜしめているが、特に右横の傷が左前のそれより比較にならない程大きな血腫を生ぜしめておりひいては脳実質に挫傷まで生ぜしめ、ために大脳が強圧されるに至つていることが認められるのであつて結局この右側の受傷が死因となつていることが肯認される。そして被告人宮下は鈴木の頭部を可成り強く一回殴つたところ相手はすぐ倒れたと警察における取調以来終始変らぬ供述をしているところからみれば、被告人宮下が角棒で殴打したため生じた傷は前記右側の創傷と認めるのが相当であつて右受傷の部位より勘案すれば、鈴木の右横か或は右横後方から殴つたものと認めざるを得ない。

しかるに、検察官主張のように被告人村山が鈴木を表通りから入つて右側の塀に押しつけていたものとすれば鈴木の右頭頂部の受傷はいかなる機会に生ぜしめられたかその説明に苦しむところである。強いてこれを説明すれば被告人宮下は塀に押しつけられている鈴木の右側にまわつた上同人を殴打しなければならないことになる。殊に被告人宮下の検察官に対する供述調書(二)中の「私が鈴木を棒で殴つた時鈴木は村山に押されぴつたり背中を塀につけていたのではなく体を斜めにして背中を半分位表通りに向けており私は斜め後方から殴つたような気がしましたが……」との供述が若し真実であるとすれば尚更かかる位置体勢の下において果して本件死因と認められる右頭頂部の創傷を与え得るか甚だ疑問とせざるを得ない。これに反し被告人村山が鈴木に前記塀に押しつけられていたことを前提とすれば同人の右頭頂部における受傷は容易に解明し得るのであつて畢竟鈴木の右頭頂部の創傷は同人が被告人村山を右塀に押しつけていたとき被告人宮下が鈴木の右背後ないしは右側より同人の頭部をめがけて強打した際に生ぜしめたものと見ることができ、かようにみることがもつとも自然であり且つかかる両者の位置体勢から右の傷害は容易に与え得るものといわなければならない。されば前記被告人村山、同宮下の検察官に対する供述調書中この点に関する供述記載部分は当裁判所においてたやすく措信しないところである。

かように当時における被告人村山と鈴木の位置体勢に関する供述が司法警察員及び検察官の各取調において全く正反対となつたことは想像に苦しむところであるが、或は河野武作成の「傷害致死事件解剖写真撮影について報告」と題する書面添付の写真に見られるように左頭頂部における外傷が顕著に認められるに反し、右頭頂部における受傷の程度が必ずしも明らかでない点に鑑み被告人らの取調に当つた検察官が同人らの体験に基く司法警察員に対する供述より右写真に顕われたところを重視した結果、多分にそれに影響を受けたためではないかとの疑いが生じない訳でもない(前記藤井安雄の鑑定書が検察官調書作成当時未だ作成されておらず前記報告書は既に作成されていたことはその作成年月日を対照することによつて明らかである。)

而して叙上のように鈴木の右頭部の受傷が被告人宮下の殴打によるものとすれば左頭部における創傷は何時どの様にして生じたものか疑問の余地なしとしないが、前記検証調書によつて認め得るように現場の塀の貫板が一本はずれ落ち、他の一本は折れていることに鑑み或は鈴木が右塀際に倒れる際その貫板等に左頭部を打ちつけて生じたものではないかとの推察がなし得ないこともない。しかし、いずれにせよこの創傷が本件において直接死因となつていないこと鑑定書の記載によつて明らかであるから被告人宮下の罪責には直接関係のないところである。

次に被告人宮下が鈴木を棒で殴つたことは同被告人の認めるところであるが、検察官主張のようにその棒は被告人宮下が他から持つて来た棒であるか否かについて検討するに、司法警察員高橋周各作成の実況見分調書及び領置調書によれば、本件犯行翌日の実況見分に際し現場の路地内に落ちていた二本の角棒を領置したことが認められ、一応その角棒二本はいずれも本件に関係あるが如くみられるのであり、殊に実況見分調書添付の写真にはそのうち短い方の角棒と認められる先端に赤インクで血痕附着の角棒と指示している関係もあつて前同様被告人らが司法警察員に対する供述調書で述べていた、鈴木のもつていた棒を被告人宮下がうしろから取上げた旨の供述が被告人らの検察官に対する供述調書においてくつがえされ被告人宮下が他から持つて来た棒で殴つたかの様な供述記載に変つたのではないかと推察されるのであるが、いずれにしても被告人宮下は鈴木が振上げていた長さ約一・二六米の角材とは別にこれより短かい長さ約一・〇八米幅約五糎厚さ約二・五糎の角材をもつて鈴木の頭部を殴打したものとして起訴されているのである。

しかしこの点についても当裁判所の検証の際、前記警察官高橋周が立会い、角材の一方即ち短かい方で表通路に近い方にあつたものはその下部が地面に密着していたのでその角材を誰れかが踏んだのかと思い角材の上に足跡がないかを調べたが見当らなかつたと説明しているのであるが、警察官が誰れかが踏んだのかと注意してみる程その角材がぴつたり地面にくつついていたことはたとえ事件前に多少雨が降り路面が湿つていたことを考慮に容れても、長い方の角材が右と同様の状態になかつたこと、路地を出たすぐ表通りに家具製作所があり当時同種の角材が道路脇に積み上げられてあつたこと等を想い合せると右短かい方の角材は事件前から偶々その路地内に落ちていたものと考えても何ら不思議はないのであるから直ちにその短かい方の角材が当夜犯行に使われたものと断ずるのは早計である。

これに対し被害者鈴木の長男で当時小学校四年生の鈴木常夫は司法警察員に対する昭和三五年二月一九日付供述調書で「お父さんを殴つた二人のおぢさんは路地にいくとき横に一杯積んであつた棒をもつて入つていきましたのを見ています」と述べ、鈴木の妻ミチ子も「子供の話ではその時二人の男が棒切れを持つていたそうです」と検察官に対して供述しているが、右常夫は同じ調書で「僕と定雄君はこわいので路地の先の曲り角の処にいつて立つていました」と述べておりその曲り角は前記路地入口より可成り離れた地点でありしかも同所附近に街燈等の設備がないため夜間暗いところであることは当裁判所の検証調書によつて認め得るところであるから右常夫の当該地点からの観察が果して正鵠を得たものであるか必ずしも疑いなしとしない。又被告人宮下の検察官に対する供述調書には「いずれにしても素手ではだめだと思つたのです」との記載があつてその供述によれば被告人宮下は鈴木が手にした角棒とは別に一本の角棒を持つて路地に入つていつたことが是認し得るようであるが被告人宮下は当時鈴木が最初棒をもつたのは全く見ていないと供述しており(同被告人の検察官に対する供述調書(二))更に前認定のように被告人宮下は、鈴木に押えつけられていたのをつきとばしてすぐその場から逃げた情況を考慮すれば、その後鈴木が棒を拾い上げ、振り上げた行為までは目撃していなかつたのが真相と認められ、しかも相手がいかに強そうだつたとはいえ、鈴木一人に対し被告人らの方が三人であつた点をも合せ考えればどうしても被告人宮下が棒をもつて行かなければならない状況にあつたものとは認められない。又実況見分調書添付の写真における角棒についた血痕の指示も、写真からみればその先端にぽつりと一滴落ちたとみられる程度のものであり、裁判所が押収した短い方の角棒の先端にけずり取られたあとがあることより加藤博作成の鑑定書の鑑定結果1の角材附着の血痕がその血痕とも考えられるのであるが、それとても血液型判定不能なほど僅少だつたのであるから、仮にその血痕が鈴木の血液によるものであるとしても寧ろ同人が路地を出る際にしたたり落ちたものと認めるべきであるから、本件押収にかかる短い方の角材に血液の附着していることをもつて直ちにその角材で被告人宮下が鈴木を殴打したことを認める極め手とはなり得ない。以上詳細説明したように結局被告人宮下が当公廷で供述し、又被告人らが司法警察員に対して述べているように鈴木がもつていた角棒を被告人宮下が取り上げてそれをもつて殴つたものと認めざるを得ないのである。

而して前認定の如く、鈴木が被告人村山を塀に押しつけていたこと、被告人らの司法警察員に対する供述調書によつて認め得るように、被告人宮下は鈴木のうしろから棒を取り上げていること、検証調書によれば被告人宮下は、棒を押さえて引くようにして取つたと説明していること、被告人宮下は放つておけば被告人村山の身が危ないと思つて取上げたものであること等、当時の各事情を綜合するとき被告人村山が司法警察員に対する供述調書で述べているように鈴木が被告人村山を殴ろうとして棒を振り上げていたことが認められ、被告人宮下においてその棒を取り上げるや間髪をいれず鈴木の頭部を殴打した一連の行為からすれば、被告人宮下のなしたこの程度の本件加害行為は鈴木の被告人村山に対する急迫不正の侵害を防衛するためやむを得ざるに出た行為と認めざるを得ない。

しかしそれは本件事案に即して必ずしも防衛の程度を超えないものと認め得ないこと前認定のとおりである。

(被告人宮下の弁護人の正当防衛の主張についての判断)

被告人宮下が、鈴木の被告人村山に対する侵害行為を防ぐためには、相手の鈴木一人に対し被告人らは二人若しくは三人であつたのであるから、鈴木から棒を取上げると共に続く同人の侵害を排除するだけで事足りるのであつて、更に鈴木の頭部をその棒で強打するが如きは明らかにその防衛の程度を超えたものと云わざるを得ないのである。

よつて、被告人宮下の行為について過剰防衛は認め得るとしても、被告人宮下の本件行為が正当防衛である旨の弁護人の主張は採用し得ない。

(被告人村山の無罪の理由)(略)

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松本勝夫 阿部哲太郎 井上隆晴)

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